繰返された憂鬱

前提として、最近朝と夜は歩くことが多くなってきている。目的地が歩いて20分弱だからという理由もあるが、本質は外を歩くことで束の間の休息を味わっているのかもしれない。

 

4月からストレスと友達になり始めた。悪い意味で。

慣れない環境に慣れない作業慣れない人。あの時はある意味最悪を知れていた。普段頭の中は見て聞いて感じて、その事で脳みそが動いている。ただ、心の底から疲弊している時、例えば精神的に、身体的に。その時はもう何も考えられなくなっていて、目に見える光景が直接頭に入ってくる。思考フィルターを通して見る光景はどこか騒がしいものだけれど、直接見えた何でもないあの光景は素敵に感じた。

その状態にいかずとも4月から今まで、なんだかんだとストレスが隣にいる。ご近所さんですか?最悪ですね。これが9月のオワリまで続くのだからなんともまあ大親友になれそう。

いなくなりたいと何度も思う。責任感が邪魔してそうはさせない。こんなもの投げ出したいと何度も思う。責任感が邪魔してそうはさせない。何のための責任感なんだろうか。誰に対しての責任感だろうか。社会、会社、上司、自分。責任感みたいな立派なものではなくて、ただ変わる勇気が足りないだけかもしれない。もしかしたらそれを考える余裕ももう無いのかもしれない。

責任感が自分を苦しめているなら今すぐ辞めた方がいい。4月も自滅しかけていた。こうあるべきに囚われて自分で自分を縛って。残るものは少しの成果と大きな代償。途中でこうあるべきを少し捨てたお陰でこうして何とか生き長らえている。

ただ無責任になりたい訳でも無くて、程よく責任を捨てないと生き長らえられない気がしている。

 

GWの10連休が終わって、休日が来るたびにもっと休みたいと何度思うことか。最近は平日が嫌いで明日も嫌いで仕事も社会も嫌になる程嫌っている。

メンタルクリニックで初期のうつ病と診断されてもおかしくないと何度思うことか。(自覚あるだけましなのかもしれない)毎度の如くこの性格もあり各種アウトプットが苦手な方な訳で、改善できる前にアウトプットの不足が原因でいつか力尽きそうだ。

 

これからも、状況は変わらない。

相手に期待しても意味がない。変われるのは自分。

勿論無理はしないでよね。